バクマン
中学3年生の真城最高(ましろ もりたか)は、高い画力がありながらも将来に夢を持たず、ただ流されて普通に生きていくだけの日々を送っていた。最高の叔父は、かつて週刊少年ジャンプに連載し、その作品がアニメ化もされた漫画家川口たろうであったが連載打ち切りとなり、その後の過労により亡くなった過去があった。
ある日、些細な出来事をきっかけに、秀才のクラスメイトで原作家志望の高木秋人(たかぎ あきと)に、「俺と組んで漫画家にならないか」と誘われる。はじめは一緒に漫画を描くことを拒絶していたが、声優を目指している片思いのクラスメイト亜豆美保と、「アニメ化したら結婚する」と約束したことから、漫画家への道を志すことになる。
バクマンは好きで読んでるんだけど読んでると事あるごとに人気を上げるためにはバトルバトル連呼されてるのがなぁ。そんなにバトルが好きなのか?
たまにこの漫画はバトル方向にするべきではないといったセリフあるけどそれでも人気=バトルといった信念を強く感じる。もちろんバクマンの作中で出てくるジャンプ編集は架空のモノなのは分かるんだが登場人物がそういう発言を普通にしてる漫画を掲載してるということ考えると実際もそういう方向性なのは間違いないだろうな。
それ考えると(ジャンプスクエアだけど)放課後ウィンドオーケストラが編集から冷遇(スクエアセカンドに移籍→最終話は書き下ろし)されたのはわかるな。バトルしてないもん。まぁ吹奏楽がテーマだから普通に物語を展開したらそうそうバトルになんかなるわけないしな。作中エリート学校出てくるけどそいつらとも別にバトルするわけでもないし。
しかし、今になって思うとヒカルの碁の成功はジャンプ中では特殊な例だなぁ。
バトル漫画じゃないし。いや、スポーツを題材にした漫画とかバトル漫画じゃなくても成功した漫画いくらでもあるんじゃない?と思うかもしれないけどそれらはスポーツを題材にはしてるけど基本はバトル漫画なんだよ。
たいていその手の漫画は大会とかの試合シーンがページ数の大部分占めてるし試合=バトルと考えてもいいと思う。
ヒカルの碁も囲碁の勝負はバトルといえるかも知れないけどそれにかけるページ数が違いすぎる。(スポーツ)バトル漫画だったら一冊ずっとバトルとか普通にあるけどヒカルの碁は囲碁に向き合う登場人物たちの交流や成長の日常とかにページ数をかけてる。(放課後ウィンドもそう)
ほかのいわゆるスポーツ漫画だったら1試合の数時間に何巻も使ってるけどそれ以外の練習が終わった後の描写とか大会が近づいて落ち着かなくなってる描写とかは割りとあっさり流されるけどヒカルの碁とかだと逆に囲碁の勝負自体があっさり流されることも多いし(数ページで終わらせたり決着付いたシーンをあえて書かずに勝敗は登場人物のその後のセリフで示したり)
囲碁の勝負そのものじゃなくその相手と囲碁を打つことによって登場人物がどんな影響を受けたりしたかを描いてるのに重点を置いてるというか。
まぁ何が言いたいかというとバトル(バトルそのもの)至上主義のジャンプでヒカルの碁が成功したのって奇跡に近いんじゃないかと。